七福神の由来〜七福神信仰とその歴史〜
その昔、七福神は七人ではなかった、といわれています。というか、そもそも最初は日本古来の神として信仰されていたのは、この七人の中では「恵比寿神」だけでした。それが、鎌倉時代にインド〜中国という長い旅を経てやってきた「大黒天」と、「弁財天」の信仰が加わりました。つまり、この段階では、七福神のうち、わずか三人のみが信仰されていた、というわけです。まあ、最初の一人と比べると、ずいぶん増えましたが、それでも今現在の七福神は七人、という概念から考えると、まだまだ寂しいですね・・・。
さて、室町時代に入りますと、それでもこの三人に対する信仰が強くなり、しだいに庶民の間でも広まってきたようです。ようやくこのころ、インドからもう一人、七福神のうちの「毘沙門天」が信仰され始めます。さらには、中国の「福禄寿」「布袋尊」「寿老人」の三人が加えられ、今現在の「七福神」という形になってきたようです。
以上のような形で、七福神信仰は室町時代ころからはあったようだ、とされています。しかし、その成立の経緯は明らかではなく、あくまでもそうではないか、という話で今に伝わってるようです。しかし、七福神を一気にメジャーな民間信仰として地位を築いたのには、一説には次のような話が伝わっています。
江戸時代、時の天下人徳川家康に対し、上野寛永寺の開祖天海僧正が、「あなたは長寿、富財、人望、正直、愛敬、威光、大量の七福を備えられ、天下統一という偉業を成し遂げたが、これは、神仏では、長寿=寿老人、富財=大黒天、人望=福禄寿、正直=恵比寿、愛敬=弁財天、威光=毘沙門天、大量=布袋、の徳を表している。これら七福神を祀れば、七難即滅、七福即生は間違いない」と七福神の七つの福徳が人生にとって大切であることを語った。家康は絵師に七福神の絵を描かせて祀った。描かれた七福神は評判となり、模写して全国に宣伝された。そして、正月に拝して一年の幸せを祈るようになり、庶民、大名問わず、広く七福神が信仰されるようになった。
さて、上に伝わるような話が一般的です。しかし、これは、人心を鎮めるための家康の行政の一環として、七福神信仰が採用され、それが始まりなのだ、という話もあり、真実はどちらなのか、ということは勉強不足のため、私も詳しくはわかりません・・・。(^^;
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授いただければ、と思います。
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